藤波 季忠 ふじなみ すえただ
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開き遍ぐる千株 壑(=谷)に桜満つ 柳荘 愧(=気がひけて心が縮まる)在り 白雲の隈 夕陽の俗客(=風流を解さない人) 忽忽(こつこつ)と却(しり)ぞく 烟月(=かすんで見える月)の幽人(=俗世間を離れて静かに暮らしている人) 得得(=てくてくと歩き)来る 此日 題を留める 皆 詩伯(=すぐれた詩人) 独り吾れ筆を弄び 花 魁(=先んずる)を愧(はじ)る 一寸の清賞(=才知の清くすぐれること) 応(こた)え無く比すを休む 明朝を恨み 緑苔を田畑に委ねる 桜園 友人の詩に和す |
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横最大43.5p |
元文4年1月26日(1739年3月5日)生〜文化10年2月15日(1813年3月17日)歿 |
江戸中期の茶人・公家(非参議)。権大納言冷泉宗家の次男で、伊勢神宮祭主藤波和忠の娘藤波伊子と結婚。神宮祭主(1752-1763)を継ぎ、伊勢神宮祭主(1762-1778)、神祇大副(1764-1786)。正二位祭主神祇大副に至る。 9代千家宗室石翁(不見斎)に師事して茶道を学ぶ。また水竹主人と号し書画に巧みで、和歌も能くした。 引首印は朱文の「水竹」、「水竹主人」の左に、白文の「季忠」の落款印が押されている。 推奨サイト https://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E6%B3%A2%E5%AD%A3%E5%BF%A0-15056 http://www.weblio.jp/content/%E8%97%A4%E6%B3%A2%E5%AD%A3%E5%BF%A0 https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E8%97%A4%E6%B3%A2%E5%AE%B6%EF%BC%88%E5%8D%8A%E5%AE%B6%EF%BC%89 http://www.tobunken.go.jp/materials/gahou/209471.html https://wikimatome.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B3%A2%E5%AD%A3%E5%BF%A0 http://www.geocities.jp/keizujp2011/fujinami.html |